La Becasse

Memory

Memory

初めてのフランス

高校生の時にたまたまフランス人の画廊経営者と知り合いになり、フランス料理の勉強をしたいと言ったら、「親戚がホテルを経営している。そこで働けばいいよ」と軽く言われ、 もう舞い上がってしまいました。フランス語が分かるわけでも…

→ 詳しく見る

フレンチレストランで天ぷらを揚げる

「ミシェル・ロスタン」という店に食べに行った時のこと。マダムが「あなたボキューズさんのスタッフなの?」と聞かれて、「なんで分かるのかな」と不思議に思っていたのですが、ふと後ろを振り返ったら後ろの方の席にボキューズさんがい…

→ 詳しく見る

完璧主義との闘い

前回、スキー場での仕事を放り出して、スイス国境近くからパリ16区のロブションさんの店「ジャマン」まで駆け付けたところまでお話ししました。ボキューズ時代の同僚が先に勤めていて、「ロブションは凄い」というので、彼を通じて働き…

→ 詳しく見る

得られた信用

セクションを移動して、ソーシエ兼肉料理担当になりました。出汁を取り、その日に必要なソースを仕上げること、煮込み料理が主な準備で、お客様が来てからは焼き物と盛り付けをします。付け合わせは別の担当がいるし、肉の切り分けもガル…

→ 詳しく見る

次のステップへの岐路

パリには多くの日本人料理人が働いていて、日本人同士の交流も少なくありません。私の場合は斎須政雄さん(現「コート ドール」(東京・三田)オーナーシェフ)と親しくさせていただきました。一回り近く年上で頼りになる存在でした。斎…

→ 詳しく見る

いよいよ最後の仕上げ

「ジャマン」を辞めることにし、「アラン・シャペル」に予約を入れ、食事の後でシャペルさんと面会したいと伝え、了解が得られました。何度か食べに行っていて、客としてシャペルさんと話したこともあり、顔は覚えられていました。当日会…

→ 詳しく見る

順調だった修業時代

振り返ってみると、フランスでの約10年はほぼ思い通りに過ごせたように思います。基本的に仕事が好きだというのが、大きな要因でしょうが、高校生の3年間学校には内緒で居酒屋でバイト漬の生活を送ったせいで要領が分かるようになって…

→ 詳しく見る

フランスの日本人社会

とくにパリでは修業中の日本人が結構いて、日本人社会のようなものができていました。日本人で初めてミシュランの星を獲得した中村勝宏さん(現・「ホテルメトロポリタンエドモント」名誉総料理長)を中心に20人ほどがエッフェル塔を背…

→ 詳しく見る

休日のお楽しみ

ボキューズさんのところは年中無休で、スタッフはシフトを組んで休むシステムでした。 週末にみんなで営業後に深夜映画を観に行き、最後ブラッスリーでステーキ&フリットを食べ、ビールを飲んで帰るというのが楽しい習慣でした。 パリ…

→ 詳しく見る

フランスの賄い料理

日本では弟子の育成の一環として見習いに賄い料理を作らせる習慣があるようです。 私が経験したフランスの6軒の調理場ではそのような習慣はありませんでした。賄い料理もちゃんとした料理人、シェフたちが作ってくれるのです。お客に出…

→ 詳しく見る