La Becasse

Memory

Memory

フランスの日本人社会

とくにパリでは修業中の日本人が結構いて、日本人社会のようなものができていました。日本人で初めてミシュランの星を獲得した中村勝宏さん(現・「ホテルメトロポリタンエドモント」名誉総料理長)を中心に20人ほどがエッフェル塔を背景にした有名な写真があります。前に少し紹介した「コートドール」の斉須さんのところには多くの日本人が顔を出していました。私は人づきあいが悪いので、その輪の中に入っていた訳ではありません。時々お宅に招かれていましたが、ほとんど奥さんとお子さんを含めた4人のことが多かったです。私の休みの日の土曜日にお邪魔していたのですが、私は当時のガールフレンドが7時過ぎに退社するのを迎えに行くために、7時ちょうどに帰ってしまうので「7時の男」と呼ばれていました。
「アラジン」の川崎誠也シェフと知り合ったのはこの頃ですが、別の場所でした。カレダニョーの話のところで出てきた中澤さんとは、先に南仏のレストランを食べ歩いているときに偶然出会っていました。中澤さんとはロブションに研修に来た時も、その後「ヴィヴァロワ」に勤めていた時もカフェでよく料理談義をしました。どんな料理を作りたいとか、どこの店のグラタンドーフィノワが美味しいか、などを熱心に話していたことを思い出します。パリを訪れた日本人シェフなどもよく立ち寄っていました。「レカン」の城悦男シェフに紹介されたことがありました。それに料理人以外の著名人たちもいて、建築カメラマンの二川幸夫さんとか、斉須さんの顔の広さ、面倒見の良さは信じられないくらいです。
その斉須さんが日本に戻るにあたって、労働ビザを私に譲ってくれるというのがとても嬉しかったです。あの当時修業中のほとんどの人がビザなし状態で、誰もがのどから手が出るほどに欲しがっていて、引く手あまただったのですから。斉須さんには本当によくしてもらいました。評論家の山本益博さんに、「ロブション」に勤める渋谷に会いに行くように言ってくれたのも斉須さん。その時の写真には同僚だった河野透さん(現「モナリザ」オーナーシェフ)とロブションの4人で写っています。雑誌「専門料理」の“パリ便り”というコーナーの取材が舞い込んだのも斉須さんの推薦だと思います。パリで活躍中の若手紹介という趣旨。その記事のことがボキューズさんに伝わって、ロブションの店に手紙が来ました。「書くことまで上手くなったんだな」と皮肉っぽく言ってきたのです。そこで事実を明らかにするために雑誌の記事を翻訳して、送り返すとまた手紙が来て、「人には嫉妬心があって、君のことを私に悪く伝えた人があったのだけど、この記事の内容は素晴らしい。良かったね」と書かれていたのです。
同僚の前で読んでいたのですが、手紙を渡してくれたロブションも気になったとみえて、「なんて書いてきたんだ」というので、手紙を見せると、「ボキューズさんが喜んでいるな」とニコっとしてくれました。こういう結果まで付いてきて感謝に堪えないです。
日本人社会というと、もう一つ、月1回ペースで料理教室を開いていました。お相手はロブションの店と同じ16区の高級住宅街にあった日本企業の現地法人の社長宅で、奥様のお友達を10人ほど集めて行うものでした。キッチンも広くて使いやすく不自由なく料理ができました。
料理素材も買い揃えてくれているのですが、スープに適さない豆とか、料理と素材のイメージがずれていることもあるので、まず市場への買い出しからスタート。私はフォンドヴォーやブイヨンがなくても、料理ができるので、素人のお宅で時間を掛けずに講習と実食ができました。
バターやクリームを多用しない料理は、「食べやすくておいしい」と評判になりました。レストランの料理の中でこの部分は家庭でもできるとか、これは省いても美味しく食べられるとか、そんな家庭向けアレンジをよく考えていたからでしょう。

シェフ渋谷の想い出話一覧へ