La Becasse

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次のステップへの岐路

パリには多くの日本人料理人が働いていて、日本人同士の交流も少なくありません。私の場合は斎須政雄さん(現「コート ドール」(東京・三田)オーナーシェフ)と親しくさせていただきました。一回り近く年上で頼りになる存在でした。斎須さん夫婦が暮らす住居は人が集まれるようにと広い部屋を借りていたので、休みの日になると皆そこへ押し掛ける習慣になっていました。
本を何冊も書かれているので経歴はよく知られていると思いますが、私が付き合った当時は「ランブロワジー」でシェフ、ベルナール・パコーさんの右腕として大活躍し、店の立ち上げから2ツ星獲得までを支えていました。前職の「ヴィヴァロワ」時代からの名コンビだったのです。そしてお互いに信頼しあう仲だったのですが、斎須さんがそろそろ日本に帰って自分の店を持ちたいということになり、後釜候補として強力な推薦を受けました。
私も「ランブロワジー」の料理は好きでしたし、パコーさんの実直な人柄にも親しみを感じていました。左岸にお店があったのですが、ちょうど右岸の4区ヴォージュ広場の角へ移転を決めていた時のことです。シェフの自宅に招かれて次の店の設計図を見せてもらったり、食器の空き箱が山のように積み上げられているのを見たり、もうほとんど身内のように接してもらっていました。当時はまだ「ジャマン」に勤めていましたが、ほとんど移籍決定のような空気になっていました。
そういえば、私が独立して以後のことになりますが、グランドターブル デュ モンドの会議に出席する時、パコーさんがタキシードに着替える場所がなくて、私のホテルの部屋を提供したこともありました。それほど親しい間柄です。
そこで、じっくり考える必要に迫られたのです。斎須さんはフランスに10年以上いましたが、なんとなく、私は10年で十分、なるべく早く、30歳には自分の店を持ちたいと考えていました。すると残りは3年。どうしても修業したいお店が別にありました。「アラン・シャペル」。「ボキューズ」時代から何度か食べに行って、憧れの店になっていたのです。「ランブロワジー」に行くとすると、残り3年を半分ずつということになります。はたして1年半でどれだけのことができるでしょうか。最高のシェフの一人から望まれて弟子になるというチャンスは、めったなことであるものではありません。それに右腕として3ツ星を取るという夢も捨てがたいものがありました。
でも私は1年半ずつではどちらの修業も中途半端になると思い、「アラン・シャペル」での3年間という修業期間を選んだのです。

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