La Becasse

Memory

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得られた信用

セクションを移動して、ソーシエ兼肉料理担当になりました。出汁を取り、その日に必要なソースを仕上げること、煮込み料理が主な準備で、お客様が来てからは焼き物と盛り付けをします。付け合わせは別の担当がいるし、肉の切り分けもガルドマンジュという専門職がいます。細かな作業はなくなるけれど、煮込み料理などは4時間煮る必要があるので、昼に間に合わそうと思うと、煮上がった肉の掃除もあるので、11時には終わっていないといけません。ということは人が9時に入るところを6時には入って7時に鍋を火にかけられるようにしないといけません。それぞれのセクションごとに仕事をやり遂げるための条件が違うので、皆自覚してやっていました。
多くの日本人シェフが2週間程度の研修にやって来ました。キッチンで作業を見学するだけなのですが、その当時3ツ星だと30万円が相場と言われていました。ロブションさんは取っていなかったようですが。
あるとき、現「ル ジャルダン デ サブール」の中澤敬二シェフが研修に来ていた時、私とラビオリしかできないというちょっと変わった人がいたのですが、その2人に急いでカレダニョー(仔羊の背肉を四角く切り分けたもの。肋骨の端がむき出しになるように成形する)を30本用意しろと指示が入ったのですが、ラビオリさんはやっぱりできない。そこへ中澤さんが得意だからといって仕事に入ってくれました。彼はすでにパリでシェフも任されているような経験豊富な人。一方の私はまだ駆け出しですから、中澤さんはゆうゆう勝てるつもりで「さあやろうか」と言ってきました。じつは「ムーラン ド ムージャン」時代にしょっちゅうさばいていたので私の方も自信がありました。結果は1本差で向こうの勝ちでしたが、「こんなはずじゃない」という顔をしていました。ベテランといい勝負ができたのはちょっといい気分でした。
カレダニョーといえば、もう一つ忘れられない想い出があります。ロブションさんがSNCF(フランス国有鉄道)の東部線(パリからストラスブール)の料理を担当することになり、そのお披露目を東駅でやることになりました。その時、肉料理を一人で担当することになり、ロブションさんが「日本人は失敗したら腹切りするそうだな。ヨシはどうする?」と聞いてきました。「じゃ、首を切ってください。日本では解雇という意味です」と言い返しました。カレ80本を真空パックにして寸胴4つで煮るのですが、20本も入れるとお湯の温度が下がるという難しさがあります。
出来上がったものをロブションが切り分けて、「肉が白くなっている。煮え過ぎだ」と騒ぎ始めました。たまたまゲストで来ていたジャック・ボリーさん(資生堂「ロオジエ」の伝説的シェフ)が「これ、ばっちりだよ」と言ってくれたのですが、それでも「火が通り過ぎ」といって譲りません。そこで私が「肉が最上級だからロゼでも白っぽくなるんです」と説明したらすぐ収まりました。ロブションさんも分かっていて私を試したのでしょう。自分の仕事に自信をもって主張したことでやっと納得してくれたようです。この時は加熱した後に長く休ませる時間があったのが功を奏して、ほぼすべて完璧な状態になっていたのです。ついていたし、勉強になりました。
少しずつ渋谷という人間を信用してもらえるようになっていたということでしょうか。そういえば、日本への出張から帰ってきたとき、ギャラを日本円で貰ってきて、どこへ行ったら一番率よくフランに変えられるかと聞かれて、「東京銀行でしょう」と答えたら、「じゃ行ってきてくれ」と現金を預けられたことがあります。それに、「渋谷に店を開く契約をしてきたところだ。お前行くか」と聞かれたこともあります。日本人だからという選択でもあったかもしれませんが、シェフドパルティに近い給料をもらうようになっていましたし、そろそろ仕事を任せられるラインに達しているということでもあります。でも、その時は断りました。まだ目標となる修業すべき店が残っていたからです。このとき、周囲の連中は「ヨシ断りおった」という目で顔を見合わせていました。大きなチャンスを棒に振るのですから、信じられない判断だったのでしょう。
その後、渋谷に店は開いていないので、話が流れたのか、それとも、渋谷という地名を覚えて冗談を言ってみたのかもしれません。いずれにしても、断って正解でした。

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