前回、スキー場での仕事を放り出して、スイス国境近くからパリ16区のロブションさんの店「ジャマン」まで駆け付けたところまでお話ししました。ボキューズ時代の同僚が先に勤めていて、「ロブションは凄い」というので、彼を通じて働きたいと伝えていたのでした。
勤めてみて、その凄さは「1日中怒ってばっかりやな」という形で知らされることになりました。後にはこの感想は「1年中」に書き換えられましたけど。最初に面接を受けた時に「俺は性格が悪いよ」と言われたのに対して、「いいシェフは皆性格が悪いです」と言い返したところ、ヒヒヒと笑っていたのを思い出します。
最初8か月はオードブル担当。テリーヌやサラダがメインです。皿ごとの完成形はロブションさんが作って見せるのですが、彼は慎重に10分掛けて作り込むのですが、本番では1分しか与えられません。できるわけがないような条件で完璧を求めてくるのです。精神的にも、手の動きの上でも、仕事の段取りでも鍛えられました。
最初の1か月はロブションさんが持って帰るサラダに「砂が入っている」といってやり直しを命じられます。どこを探しても一粒の砂も発見できないんですが、毎日「砂だ! お前はクビだ」の繰り返し。命令ですから真剣に洗い、隅々まで目を光らせて、丁寧に仕事をせざるを得ないです。3ツ星の仕事の厳しさを叩きこむことが目的だったのか、精神的にタフでない人間を振るい落としたかったのか、ちょうど1か月経ったら、ピタリと怒鳴り声を聞かなくて済むようになりました。
コンクール荒らしで名を上げ、アラン・サンドランス、アンリ・フォージュロンとともにパリの三羽烏と謳われた人。オテルドニッコーの「セレブリテ」に2ツ星を与えた後、独立して「ジャマン」をオープンするとわずか4か月でミシュラン1ツ星、以降連続で星を積み上げ、史上最短の3ツ星獲得という名声に包まれた人の精神状態というのは、ここまで緊張してピリピリしたものなのかも知れません。3ツ星を取ったばかりで一番神経が張りつめていた時期でもあったとは思いますが。
キッチンをさらに緊張させていたのがロブションさんの仕入れ。必要最低限しか注文しないのです。洋梨1個、インゲン豆200gというような業者が面倒くさがるような細かな発注。業者が大人しく従っていたのは、ロブションさんがパリのホテルにネットワークを持っていて、彼を怒らせるとホテルの大口の発注が止まってしまうと言われていたようです。なにしろギリギリの材料でミリ単位に正確に切りそろえないといけないんですから、失敗は許されません。必死です。だから付け合わせ担当のスタッフなどは少しでも余分に切り置きたくなります。なんとか余らせて冷蔵庫の死角になっているスペースに隠すんです。あるとき念入りに丸ごとチキンのお腹にラップに包んだ野菜を突っ込んで死角に隠しておいたのが、気が付いたらロブションさんに持っていかれてしまっていたのでした。とくにおとがめはなかったので、家へ持って帰って、これ幸いと料理に使ったのかもしれません。
残り16か月、計2年在籍したのですが、長くもったほうです。それ以上長くなると店の幹部クラスということになります。彼らも私とほぼ同年配です。そんな人たちでも、「ジャマン」を巣立った後にホテルのシェフなどに招かれる人が多かったし、恵比寿の「タイユヴァン・ロブション」のシェフになったり、ニューヨークの「ル・ベルナルダン」のシェフになって3ツ星を取ったりした人もいます。
「ル・ベルナルダン」のシェフはエリック・リペールといってオードブルセクションのシェフ。ある時、彼がキノコに食当りして1週間休んだことがあり、セクションを一人でこなさないといけなくなったときは本当に大変でした。そういう修羅場をくぐりつつ、まだロブションさんから小言を言われ続けていました。たとえば野菜とウサギのテリーヌは週に1度か2度仕込めば十分なのに、ロブションからダメ出しを食らうことがちょくちょくありました。グランシェフ、ロブションさんの下で全体を指揮するMOFを取ったシェフがいてOK出していてもです。彼も「また言ってるわ」という程度の反応でしたが。作るたびに断面を見て「ダメ」といって潰してしまうので、毎日仕込んでいました。あとから振り返ってもどこがダメなのか分からないレベルなんですけど。もったいない話です。