La Becasse

Memory

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初めてのフランス

高校生の時にたまたまフランス人の画廊経営者と知り合いになり、フランス料理の勉強をしたいと言ったら、「親戚がホテルを経営している。そこで働けばいいよ」と軽く言われ、
もう舞い上がってしまいました。フランス語が分かるわけでも、料理を学んでいるわけでもなく(父親が町の食堂を経営していたが手伝いもしたことがなかった)、ただなんとなく「フランス料理って良さそう」と思っていたレベルだったのに、大学進学を止め、その費用をフランスの滞在費とするなど、急に具体的な目標になってしまいました。フランスで働くのに労働ビザが必要だということすら知らずにフランスへ渡ったのです。
語学学校に通い半年くらい経ち、日常会話が少しできるようになった頃、「ポール・ボキューズ」に願書を送っていました。
ある日、下宿先の子供のおたふくカゼがうつって寝ていて、お昼にやっと起きだし、ポストを見に行くとボキューズさんから返事が来ていました。その日の12時にあるレストランまで来い、と書かれていたのです。もうその時間だったので、慌てて、高校生の時に買った自分にとって一番のお洒落着であるマドラスチェックのジャケット、カーキ色のシャツ、黒白ボーダーのニットネクタイというスタイルで駆け付けました。もう食後のブランデーを飲んでいるところでしたが、快く会ってくれました。
どういう訳か服装の話になり、お洒落だと褒められました。あれこれ話して結局1か月だけ試しに働いてみるか、とOKも出ました。アプランティ(見習い)は話が通じて従順であれば取り合えずOKなのでしょう。
ただがむしゃらに働く一方、最初の1年は父親から生活費の援助があったので休みの日に食べ歩きをしていて、ボキューズさんと出くわすケースがよくあり、ご馳走して貰ったりしていました。アプランティでは珍しくて目立ったのでしょう。次は3か月、次は半年、次は1年と契約(労働ビザがないので正式なものではなく給料は小遣い程度)が伸びていきました。
初めての海外生活で生活習慣や嗜好の違いに直面したわけですが、意外にすんなり溶け込んでしまいました。子供の時からいいもの好きだったので、ボキューズさんが飲んでいたブランデーが最高だと聞くと、その銘柄のブランデーやバカラのグラスを買い、ほかに何もない(ベッドすらなくマットレスのみ)下宿で毎晩チビリチビリ飲んだりしていました。毎日真剣に働いて少しずつ中身が追いついていったのでしょう、だんだん生活が板についていったという感じです。
それに、心配や違和感に悩むより好奇心の方が強いタイプなのかもしれません。

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