La Becasse

Memory

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スタート以来どっぷり料理漬けの日々

会話を身に着けたので、「ポール ボキューズ」のキッチンに入っても困ることはなかった。順応性が高く、入って早々まごまごすることもなく、入りたての自分も作業に加わった皿をそのままお客さんに出していいのかなという心配をしながら、命じられた仕事を順調にこなしていました。最初はトーストを焼いたり、ソーセージ入りのブリオッシュを切り分けたりといった単純な仕事でしたが、他のスタッフと仲良くしていたので、彼らから“ブリオッシュ大き目で”とか、“人数多くて足りなくなるから小さめで”とか注文のようなアドヴァイスが出るのですが、そんな注文をちゃんと聞き取れるようになっていたのが大きかったのでしょう。
新米の落ち着きのなさが表れたエピソードとしては、鶏の手羽の数を数えさせられて59と答えて、すぐに数え直しさせられたこと。1羽に2本あるのですから奇数になるはずがないのです。とんだ間抜けな話ですが、こんな状態から、すぐに注文の数のことはヨシに聞けと言われるようになったのですから、戦場のようにバタバタした環境が天職だったのかもしれません。「トロワグロ」など他店で経験してきたスタッフたちが口を揃えて、“ここはフランス一しんどい店だ”と言っていたのですが、私は毎日楽しくて仕方なかったです。それほど仕事もフランスという環境も水に合っていたというほかないです。それに日本を発つ前に、身を粉にして働けと言われていたことを実践したのも良かったのでしょう。
その後はすでにお話ししたように順調に巨匠たちの料理を身に着け、彼らの生き方、精神を学びました。心に残る会話がいくつもあります。どちらかというと感覚派なので論理的に整理されてはいませんが、経験したものすべてを丸呑みしつつも、咀嚼できていたのだと思います。でなければ巨匠たちに認めてもらえる料理は作れなかったと思います。
日本に帰ってきて30年が過ぎましたが、毎日6時には起きて、7時には市場、9時くらいに店へ戻って、午前中ずっと仕込み、ランチ営業を終え、少し休憩し5時くらいから夜の仕込み、夜の営業の終盤から片づけが始まり、鍋釜などの調理道具に始まり、コンロ回り、床、排水溝にいたるまで徹底した掃除をして12時頃に終了。満席でお客様が長居したときにはもう少し遅くなることもある毎日。30年一日の如し。同じことの繰り返しのような日常ですが、まったく飽きることがないです。毎日、食材から新たな刺激を受け、創作意欲をたぎらせているからでしょうか。
最近、趣味が減ってきたとはいえ、休日にツーリングをしたり、クレー射撃をしたりとリフレッシュできているからかもしれません。
これからも、シャペルさんたちが敷いてくれた軌道をさらに前へと進めていき、歴史に名を刻む料理が創れればいいなと思っています。

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