La Becasse

Memory

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グランメゾンへの挑戦

四ツ橋の店は狭いところに32席も設けていました。ベンチシートの席もあり、レストランの環境としてはあまり誉められたものではなかったです。2004年の3月に高麗橋に移転し、3倍の面積の広々とした空間に34席を設えました。予備に6席増やす用意もあり、ウェイティングルームやレセプションもゆとりを持たせました。インテリアデザインは当時業界のトップの誉れ高かった植木莞爾さんにお願いしました。
ホールに5、6人、キッチンは7人体制。じつは、計画した時点から10年でこのスタイルは止めると決めていたのです。当時のスタッフたちには最初から宣言していました。師匠たちがやっていたお店のようなグランメゾンのスタイルで自分もやってみたい、やれるということの確認の意味でやったように思います。最初から自分の料理の考え方からすると方向が違っているのです。
それでも、高校生の時のアルバイトで居酒屋のホールの仕事をしていた時からお客様を喜ばせることが好きだったように、ここでもお客様に喜んでもらうことには心を注いだつもりです。時は、勝ち組などと呼ばれる人たちが生まれていたころで、ラグジュアリーな環境は時代に適していたようです。営業的にはこの店の時にも好調を維持していますが、客層が少し変化し、四ツ橋時代のお客様で来られなくなった方もおられました。
四ツ橋時代、メニューの皿数はアミューズ、オードブル、魚、肉、デザートの5品だったものを8品、9品に増やしました。
こういうラグジュアリースタイルが高級ブランドに気に入られ、カルティエ、シャネル、ルイ・ヴィトン、大丸百貨店の外商などの貸し切りがよくありました。ウェイティングルームを利用して高級品の展示即売会を行い、その後に食事をサーヴィスするということが行いやすい環境でした。
カルティエの貸し切りでは、インテリアの照明も付け替え、窓の外は雪景色、廊下にも雪が積もっているというような凝った演出を行っていました。その日に設営に入って、食後、夜中の3時には撤収完了という凄技でした。感心もさせられ面白くはあったけれど、付き合わされるこちらも大変でした。
10年で急に店を縮小したので失敗したと誤解している人もいるようですが、失敗していたら今の店を開くときにとんでもない額を掛けてリフォーム工事をしていなかったでしょう。

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