La Becasse

Memory

Memory

計画なしの帰国

フランス滞在を10年で切り上げ、早く自分の料理を日本で紹介したいと思うばかりで、具体的にどこで、お金をどう工面して店を持つのか、まるで計画性はなかった。シャペルさんの講習会が大阪、九州、北海道、東京と巡回したとき、日本ソムリエ協会の初代関西支部長を務めた笹尾勝義さんが、シャペルさんからすごく信頼されている料理人と評価してくれ、宣伝し、いろんな人に紹介してくれました。そのなかの一人に当時ロイヤルホテルの若手ソムリエだった岡昌治さんがいて、彼がシェフ不在になっていた「ミストラル」を紹介してくれたのでした。私がシェフとして働いた最初のお店です。1989年の秋のことです。
ここに決める以前に東京の店でどうかという話もあったし、シャペルさんから「アラン・シャペル神戸」で上柿元さんの下で働いては、という誘いもありました。一晩ディナーをご馳走になったんですが「ミヨネーと違いますね」というと「そりゃそうだ」という答え。どちらも一度勤めるとなかなか抜けられそうになく、自分の店を持つという目標からは遠ざかりそうな気がしました。その点「ミストラル」は自分にとっては無名の存在で気楽に決めたのでした。後から知ったことですが、オーナーでメートルの岡田強さんは大阪の町場のレストランの草分けである「ビストロヴァンサンク」のオープン当初のスタッフで、町場出身のボーイさんとしてはトップに位置する人だったのでした。
私が入るまではランチが800円とか1000円という格安設定だったのですが、私は2500円に改めました。場所は堂山町という梅田の外れであり、雑居ビルの2階。ロケーションにはまったく恵まれていませんでしたから、この改定はかなりの冒険だったのです。蓋を開けてみるとこれが大好評で連日満席に近い盛況。夜もかなりの入りでした。当時、見田盛夫さんと山本益博さんが出していた“グルマン”というミシュランやゴー&ミヨーのようなレストラン評価本でも1ツ星で初掲載されました。すでにバブルが弾けた後のことなので、幸運だったというべきでしょう。オーナーからもマダムからも別々の機会に「あの時はもうけさせてもらいました」と感謝されたほどです。
日本での講習会で初めて帰国したときに、すでに日本の食材を使ってフランスで作ってきたように作れるという自信を得ていました。1年回してみて、料理を作ることにはなんの障害もないという確信に変わっていました。
仕入れ先も分かったし、銀行もまだ貸し渋りの時代ではなく、かなりの金額の融資が得られることが分かり、具体的な勝算があったわけではありませんが、行動に移したのです。
1990年10月4日。念願の自店「ラ ベカス」を四ツ橋にオープンすることができました。この当時評価の高いフレンチレストランは「アラン シャペル」にしても「ローズルーム」や「ル ランデブー」にしてもホテルのレストラン。町場では「ビストロヴァンサンク」や新進気鋭の「シェ ワダ」、神戸の「ジャン ムーラン」が活躍していたくらい。「ヴァンサンク」の原シェフとは、フランス時代に訪ねてきてもらって知り合いになっていたこともあり、店が近く道具や食材の貸し借りをするなど仲良くしてもらいました。
これらのお店で出されている料理の紹介記事を読む限り、負けていない、十分に太刀打ちできるという自信はありました。それでも初日こそ満席でしたが、その後は振るわず、赤字ではないというレベルで推移。ただ、柴田書店が“専門料理”や“グランシェフ”で度々取材してくれたので業界の人たちが繰り返し食べに来てくれていました。また四ツ橋界隈は元気のいい小さな会社が多く、オーナーたちが贔屓にしてくれたのが経営の安定につながっていたのです。とくに勧めるわけではなかったのですがワインのよくでる店としても知られていました。先の笹尾さんに招かれて料飲関係のパネルディスカッションでなぜ売れるのか、どのように勧めているのかを発表させられたのですが、「普通にお勧めしているだけなんですけど」というしかなかったです。
初期の挑戦としては積極的に和牛を使ったこと。ほかのシェフたちがフランスらしさにこだわって鴨だ鳩だ、と言っているときにあえて日本独特の和牛を使ったのです。『和牛の腹身肉の温製サラダ』『和牛肉のつぼ煮』などを開発したのを覚えています。
ただ、仕入れ方が分かっていなくて、ロースを1本丸ごと買わなければならないと思い込んでいて、結果としてお客様の半分に食べてもらわなければならない状態になってしまいました。その弊害を避けるために一旦全廃しました。今では必要な分だけ仕入れる方法が分かっているので再開し、時々お出ししています。
連日満席になったのは震災後のことです。経済環境はより悪化していたのですが、評価がじわじわと浸透していったということでしょうか。お蔭さまで営業成績もよく、西区の税務署から最優秀納税者賞というのを何度も受けています。当時の府知事であった横山ノックさんと写真に納まったりもしました。特別地方消費税に関して個人事業主では一番の納税額だったとのことです。

シェフ渋谷の想い出話一覧へ