La Becasse

Memory

Memory

フランスにおけるジビエの位置づけ

最近は日本でもジビエが浸透し、かなり食べられるようになってきました。ジビエは日本の初ガツオや鮎の解禁のように、フランス人も待ち焦がれているものと伝えられることが多いように思います。でも、現地で経験した感覚でいうと、フランス人はそれほどジビエを食べません。彼らの食文化はかなり保守的で決まったものしか食べないのです。牛、羊、豚、鶏がメインで、金曜に魚(サケ、マス、ヒラメ程度)が普通で、カモともなればそこそこ食通の部類ではないでしょうか。そもそも、庶民は高級レストランへ行くことがありません。階級意識が明確で、日本人のように無理してでも貴族、ブルジョア的体験をしようとはしないです。食文化の階層を象徴するのが馬肉でしょう。市場に行くと馬肉専門の店がありますが、馬肉しか扱いません。肉屋はその他の肉類全てを扱うのです。馬肉食が認められたのは19世紀のことで、普仏戦争の敗戦で飢餓状態になったときに普及したそうです。元々カトリックで禁止されていた肉なので、飢えた下層階級にしか広まらなかったのです。だから今でも馬を食べる人と食べない人は明確に分かれていると感じました。
ジビエ料理は元々、王侯貴族の狩猟文化に伴うもの。猟が終わった祝宴で食べられていたものです。フランス革命で貴族たち雇い主を失った料理人が街に出てレストランを開き、ジビエ料理もメニューに加えていたので、レストラン料理としてはそれこそ王道のメニューと言えます。とくに日本ではフランス料理の真髄に迫る求心的な意味が強く、ジビエを理解していることが本格派の証書のようになっています。これはフランス菓子の世界でも、地方菓子、伝統菓子はフランス本国よりも東京での方が見つけやすいという現象になって表れています。フランス人は自分の好きな料理、菓子を作れば、それがフランス料理でありフランス菓子であるのに対して、日本人の場合にはフランス料理、菓子のルーツに直結していないと本物ではないという強迫観念が出来上がっているのでしょう。
じっさい、フランスでは私が修業した40年近く前でもジビエを食べるお客様は少なく、ロブションさんも店名を「ジョエルロブション」に変えてからは“リエーブル(野兎)ロワイヤル風”をスペシャリテにしていましたが、私が修業していた時代の「ジャマン」では鹿しか扱っていませんでした。「ランブロワジー」ではメニューに載せず裏メニュー扱いで特定の顧客に口頭で伝えるレベル。ボキューズさんのところでも、メニューに“リエーヴルロワイヤル風”を載せていて、シェフが作ったものを「ムッシュポール、美味しくできていますよ。食べられますか」と声を掛けたのですが、ボキューズさんは「いやあ」と言って顔をしかめていましたから、ジビエの中でももっとも癖の強い匂いの強いリエーヴルはいつも食べたいものではなかったようです。
シャペルさんはジビエを積極的に取り込んでいましたが、鴨、鳩、雉がメインでした。“ジビエのパテ”のような原価の高い料理は予約制にしていました。やはりジビエを好む顧客は限られていて、無制限に作れるというものではなかったのです。
このように、食通であっても必ずしもすべての食材を受け入れるわけではないし、思う存分料理を作れるほどには顧客がいないというのが現地でのジビエの置かれた位置づけです。

シェフ渋谷の想い出話一覧へ