La Becasse

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ワイン修業の日常

ワイン修業といっても、大したことをしたわけではありません。すぐに酔っぱらうほうで、量はたくさん飲めません。だから日頃からいいワインを少しずつ味わって飲むように心がけていたのです。貧乏下宿の身で、“ラモネ”のシャサニーモンラッシェを家で飲むような生活です。さすがにこのクラスになるとフランスでも値が張りますから、当然、いつも給料を使い果たしていました。
サヴォアで働いていたときにほぼ隣の県であるジュラ地方特有のヴァン ジョーヌや甘口のヴァン ド パイユと出会ったのもいい体験でした。シャペルでも重用されていて、やっぱりなと思ったものです。独立してから、家庭画報で料理とワインのマリアージュという企画があり、私は奈良の蕎麦屋さん「玄」の蕎麦にヴァン ジョーヌを合わせたのですが、90年代初頭、まだまだマイナーで、渋谷は変なものを勧めるなと思われていたようです。
修業時代もちろん、マルゴー、ロマネコンティ、ロートシルトといった偉大な銘柄には手が出ませんが、現地ではここまで有名でなくても怪物的なワインがまだまだ山ほどあるのです。信頼のおける人にそういういいワインを教えてもらって、一流の味を知ることに努めていました。
こういう努力を続けているといいものとの出会いが待っているようで、日本へ引き上げてくるときには“アンリ ジャイエ”のヴォーヌロマネを手に入れることができました。“ブルゴーニュの神”とまで讃えられた伝説的な醸造家です。一時帰国したときに知り合った京都の板前割烹のご主人にお土産で差し上げました。最初は価値が分からなかったようですが、後から凄いものらしいね、と言っていました。元々生産量が少なかったうえに、ジャイエが亡くなって瞬く間に高騰してしまい、今では物によっては100万円とも200万円とも言われています。
「ラ ベカス」を開いた頃、サントリーの仕入れ担当に目利きの人がいたようで、無名ながら美味しいワインを沢山揃えていました。それでワインリストの大半がサントリーの取り扱い商品ということになり、“ベカスはサントリーばかりだからレベルが低い”と言われていたようです。でも、そのなかのジャメという銘柄などは「ラ コート ドール」のベルナール ロワゾーシェフが来店された時「おうジャメがあるじゃないか」と喜んでくれました。フランスに行く機会があると「アラン シャペル」に立ち寄っては、カーヴから何本か分けてもらっていました。その中にはクリュッグの“クロ ド メニル”の 最初のヴィンテージ(79年)や、私の生まれ年61年のボルドー、1907年の甘口ワイン(シャトー イケムより凄いと言われています)が含まれていたりします。
自慢できるほど膨大なカーヴは持っていませんが、身銭を切って鍛えた味覚なので、選りすぐりのワインにする力は持っているのかなと自負しています。

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