La Becasse

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「アラン シャペル」の郷土性

「アラン シャペル」は昔から地産地消を貫いたレストランでした。店のあるミヨネーは大都市リヨンの経済圏とはいえ、ローヌ県とアン県に分けられ、文化的にも行政的にも異なる20㎞ほどは離れた田舎町。シャペルさん自身、「うちは田舎の旅籠ですから、地方性を失くしたら意味がありません」と取材にも答えています。
果物や野菜は近くの特定の農家から買い付けていました。農家の人たちを店に招待するほど大切にしていました。気に入ったワインをなかなか卸してもらえなかった時も料理を振舞って、納得してもらうようにしていました。近郊のブレス産の鶏も使っていましたが、もっと近くでいい鶏を育てている農家を見付けるとそちらから買うようにと、つねに近隣の農家に目配りしていたようです。あるとき、いつも使っているバターが品切れになり、雇われシェフがエシレバターを買ってきたら、「こんなものは誰もが使っている。近所の農家の発酵が過ぎて酸味があるようなものがいいんだ」と言っていたのを思い出します。最高の品質ではなく、その土地ならではの個性を求めていたのです。
リヨン近郊の食材しか使わないというほど頑固ではなく、少し離れたアヌシー湖で穫れるグージョン(ハゼのような小魚)の唐揚げを突き出しの定番にしていましたし、“オマールのサラダ”や“オマールとジャガイモの煮込み”のようなブルターニュ産の料理も作っていました。その代わり、シャペルでなければ食べられないという特色あるものに仕立て上げていたように思います。
いまになって思うのはシャペルさんがグリモ ドゥ ラ レニエールの“食通年鑑”、ブリヤ サヴァランの“美味礼賛”、などによく目を通していたことです。なかでも日本ではほとんど知られていませんが、ルシアン タンドレという人が書いた、たしか“ア ターブル”というような書名の小さな本をよく見ていました。アン県の料理が多く紹介されていたのです。今ならサラダグルマンと呼ばれるような“オマールと鳩のサラダ”、“白肝のガトー”、“3大パテ”などを思い出します。こういう地方色の濃い古典的な料理の知識から、新しい料理のヒントを得ていたようです。とりわけタンドレは参考になったようで、いますっと思いつくだけでも、オンブルシュバリエの料理や、「白肝のムース」、「牛タンとジャガイモのパテ」など、これが元になっているなという料理があります。
地方の素材を使いながらその特長をうまく活かせる料理のヒントを得て、芸術的なレストラン料理に昇華させるという手続きを踏んでいたのかなと思います。

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