La Becasse

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食べ歩いた地方料理

フランスは昔から地産地消の国です。ワインでも地方ごとに育つ葡萄の品種が異なり、それぞれの個性を大切にしたワインが醸されます。野菜や果物も同じで、その地方に特有の産品があり、それを活用した料理や菓子が工夫されています。肉や魚でも特産品の有名なものが数多くあります。ペリゴールのトリュフやフォアグラ、ブレスの鶏と鳩、ノルマンディーのプレサレの仔羊など絶対的な名声を得ているものも少なくありません。これほど高名なものになると、フランス全土はおろか世界中のレストランで使われています。でも、これが典型で、知名度の劣る産品であっても、各地の生産者も料理人もその土地の食材に誇りを持っているのです。だからこそ、特色ある地方料理が作られ、ずっと守られてきているのです。
フランスにいる間は有名なレストランを食べ歩いたのはもちろんですが、そういった地方料理を食べるのが楽しみでした。私が働いたのはリヨン、パリ、プロヴァンス、サヴォアの4地域だけですが、それ以外にも食べ歩いています。それにパリでは全土の郷土料理が食べられるし、クスクスや中華料理、ベトナム料理までありますから、幅広い食体験を積み重ねられたという訳です。
リヨンでは気に入った店が3軒あって、「ヴィヴァレ」はエプロン掛けたお爺ちゃんがやっていて、買い物籠提げて買い出しにいくような店です。いかにも自分は昔からこういう料理を食べてきたんだ、という雰囲気が漂っています。「これ以外にどうやって作れって言うんだ」とでもいいそうなお爺ちゃんで、楽しい店でした。“サラダリヨネーズ”はここのが本物だと思っています。タンポポに強いヴィネガーを当てていて、ニシンとベーコンが入っていたのを覚えています。内陸のリヨンでなぜニシンなのかは分かりませんが、腰のある苦みが利いたサラダはともかく美味しかったのです。「カフェ ド フェデシオン」は黒板に“アンドゥイエット(腸の腸詰) ア ラ メゾン”と書いてあるのですが、シャルキュトリーの店から仕入れているに違いないと思って、ア ラ メゾンを強調して注文したら、ギャルソンもニヤッとしていました。でもこれが美味しいんです。私が修業していた80年代、日本ではまだまだ内臓料理はゲテモノ扱いされていましたが、まったく抵抗なく食べられました。
もう1軒は2ツ星を取っているちょっと格上の「レオン ド リヨン」。メニューにはその当時の今風の料理に加えて郷土料理のコーナーもあり、 “ブレス鶏のフリカッセ”とか“ルジェ(ひめじ)の肝ソース”など今でも印象に残っています。魚料理に骨髄を加えるなど、普通には思いつかない調理法でした。
2軒は今でも店はありますが、オーナーが変わってしまい、残念ながら料理に面影は止めていません。「ヴィヴァレ」は「アラン シャペル神戸店」のシェフを務めた人が買い取ったんですが、その後の消息を確かめていません。
「ムーラン ド ムージャン」にいたときはよくカンヌまで食べに行っていました。“サラダニソワーズ”もオリーブとアンチョビ、卵だけに特徴があるのではなく、生の空豆や新鮮な野菜がそれこそ山盛りで出てくるのです。畑の恵みをふんだんにというのが真の特徴だというべきでしょう。本で得た知識だとどうしても本質が漏れてしまうところがあり、実際に現地へ行って食べるに勝るものはありません。
パリで食べる郷土料理は現地とは言えないでしょうが、現地出身の人が作っているので一応信用できるのかな、といったところ。
アルザスの“ベックオフ”はポトフのようなものですが、元々、各家庭にオーブンがなく、仕事の終わったパン屋さんの石窯に野菜やベーコンなどを入れた鍋を持ち込んで、窯の余熱で蒸し焼きにしてもらうというものです。無水調理なので味が濃厚になって美味しいんです。
似たようなものではオーベルニュの“ポテ”というのもあります。キャベツとベーコンやソーセージのような豚肉加工品との煮込みです。これも体に優しい美味しい料理です。
フランスの家庭ではこういったスープ料理が基本になっているようで、背の低い人に子供の時スープを食べなかったな、と言うほどです。栄養の源といった感覚なのでしょう。
また、カスレのような豆料理を食べる機会も多かった。付け合わせにも出てくるし、当時の日本のフランス料理では重要視されていなかったようですが、日常食の根幹の一つです。
サヴォア地方のチーズ料理を期待していたのですが、スキー場という性格上、地元の人が愉しむようないい店がなく、収穫はありませんでした。
唯一これだという正解に出会えなかったのは“ブランダード”。干ダラをほぐしたものとジャガイモのペースト。レストランで食べると美味しいのですが、郷土料理の店で食べると干物臭くて美味しくなかったのです。
このように生活に根差した料理の感覚を身に付けたことはフランス滞在の大きな成果だと思っています。

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