La Becasse

Memory

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師匠たち3人のそれぞれの人柄

ボキューズさんは逸話の多い人です。料理を通じたフランスの文化大使を務めたほどの人で、料理の世界は柄の悪い職人の世界と思われていたのを、紳士的な振る舞いでイメージアップした最大の功労者です。
私から見ても男の中の男といったイメージ。威張るのではなく、人に優しくすることで自然に人がボキューズさんに従うようになるのです。キッチンの裏口の近くに犬小屋があって大型のボルドーマスティフという土佐犬のような犬(雑種だったかも)を飼っていたのですが、ほかのシェフ連中がコックコートを着ずに近寄ると吠えられていたのですが、ボキューズさんには大人しく甘えていました。犬も認める大親分といったところ。そういうときは“どうだ”と言わんばかりにしていました。リヨンでは人気者で、中央市場にいるホームレスたちの一人が、ボキューズさんが市場へ行くと寄ってきて、ボキューズさんも嫌がらずにコーヒーをおごってやることを習慣にしていました。私はお店に1年しかいさせて貰えませんでしたが、ずっと目を掛けてもらって、2018年の1月に92歳目前で亡くなるまで、ずっとアポなしで会ってくれていました。包容力があって、誰に対しても優しいです。
誰からも認められていて大成功している人にもかかわらず謙虚な部分をずっと残していました。雑誌の記者から、料理界であなたより上の料理人は誰かと聞かれて、「トロワグロ、シャペル、ジラルディは自分より上だな」と答えていました。記者は「他の3人に同じ質問をしたら同じ答えが返ってくるでしょう。才能のある人は才能を認めるといことですね」とフォローしていました。またある時は、経済的に成功したジョルジュ・ブランのような生き方と、アラン・シャペルのように芸術的な成功の道があるが、どちらを選ぶかと聞かれ、「シャペル!」と答えていました。
賄いのところで紹介した“メール リシャール”もそうですが、お気に入りの業者を育てるプロデュース力も凄いです。コックコートメーカーのブラガーもその一つ。襟にトリコロールをあしらうというのがボキューズさんのアイデア。大ヒットでみんなが真似して着るようになり、ブラガーが成長する要因となりました。やがてトリコロール付きをMOFだけに許されるものとすることで、より価値を高めたのでした。
趣味は高級なものが好きということで一貫していました。車はベンツ。時計は金のローレックス。その豪勢なのを何個も持っていました。太い腕に金のローレックスは似合っていましたけど。
ロブションさんはボルボに乗っていることに象徴されるように、安全性や経済的合理性が優先という感じでした。だからといって冷たい計算優先の人間という訳ではありません。親しいシェフ仲間はたくさんいました。
神戸でロブションさんとシャペルさんの合同のイベントがあったときにアシスタントを務めたのですが、別れ際にロブションさんが謝礼といってお金を包んでくれました。シャペルさんと2人分だというのですが、後から人に教えられた話では彼一人の気遣いだったのです。仕事には厳格で、つねに完璧を求めてくるのでとても大変なのですが、長く続いた人は「ジャマン」出身というキャリアが欲しいだけでなく、隠れた気遣いの人だということがなんとなく伝わってくるからでしょう。日本人的な繊細さと言ってもいいかもしれません。
シャペルさんは料理界のダヴィンチと言われたように、芸術家肌の人でした。強い自信を持っていて、スイス人の料理記者(私が帰国を決めた時にハグしてくれた人。シャペルさんの友人でしょっちゅう来ていた)が、私にシャペルをどう思うと聞かれて、答えに困っていると、「彼は自分が一番だと言うに決まっているよ」というのでした。
車は最初レンジローバーに乗っていました。オフロード好きなのかと思っていたら、運転は得意というほどではなくしょっちゅうぶつけていました。自覚していて丈夫な車にしていたのかもしれません。後にベンツに乗り換えました。時計は白のローレックス、文字盤や針まですべて白。「金ですね」と言うと、「わかるか。曜日の付いているモデルはホワイトゴールドなんだ」と満足げでした。
持ち物はいいものへのこだわりが強かったです。それがブランドには関係なく、自分が気に入ったものなのです。海外出張に同行したとき、機内食を食べたのですが、ナプキンを止めていた小さな洗濯ばさみのようなクリップが気に入り、「これいいなあ」と言ってポケットにしまっていました。
オーディオは今でもアンプ類は高さが10cmくらいあるのが一般的ですが、当時、テクニクスから高さ4cmくらいの薄型のプリアンプ、メインアンプなどのコンポーネントが発売されていて、それを愛用していました。とてもスタイリッシュなモデルです。私は高校生の時にそのシリーズのプレーヤーだけ買っていました。
日本に出張するとき、「このコンポーネントは高級すぎて、フランスではもう取り扱いがなくなり、交換部品が買えない。ついでに買ってくれないか」と頼まれました。日本に戻ってみたら、国内でもすでに廃番になっていて手に入れることができませんでした。気に入ったものを長く使うタイプの人だということが、このエピソードからも分かるでしょう。

2018年にボキューズさんとロブションさんが相次いで亡くなり、師匠と仰ぐ人がすべて鬼籍に入ってしまいました。寂しくはありますが、それぞれの人柄を思い出してみると、いまだに目の前に接しているような気持ちが蘇ってきます。
人柄が料理に反映しているのも、いまさらながら面白いと思います。ボキューズさんのおおらかな料理、ロブションさんの計算しつくした緻密さ、シャペルさんの好き嫌いに基づいた閃きの美しさ。やはりそれぞれの良さがあります。
私の料理は、自分の感性、身体から発したアイデアであり、自分のオリジナル料理だという自信はありますが、例のスイス人記者が言ったように、発想のスタイルは私の身体を通り抜けたというシャペルさんの影響を否定できないようです。そこから脱することができていないとしても、一番好きな料理だったので満足しています。目標は一目で渋谷の料理だとわかるスタイルの確立です。

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