La Becasse

Memory

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スパイス、ハーブなどによる料理の広がり

私が日本を後にした1980年当時、カレーを食べても今流行りのスパイスカレーのようなものはなく、混合のカレー粉を使ったものがほとんどで、クミン、コリアンダー、クローヴといった単独のスパイスには一般人は馴染みがなかったでしょう。スパイスと言えば日本のもみじ卸や柚子胡椒が気に入っていたくらい。洋食屋さんのハンバーグやベシャメルソースに使っているナツメグや、お菓子に使われるシナモンくらいは知っていましたが。私もまだ18歳の少年で、食べることが好きといっても分析的に食べていた訳でもないし、ほとんど何も知らないまま、真っ白の状態でフランスに渡り、初めての香り、初めての刺激を無条件に受け入れていったのです。それこそ白コショーと黒コショーの使い分けすら新鮮に感じたところからのスタートです。幸い食べられないというものがなく、どんな香りもどんな刺激も抵抗なく受け入れていきました。スパイスやハーブを一つ覚えるごとに世界が広がる思いでした。
スパイスではなく香味野菜になりますが、最初の年、生のオニオンヌーボーにサワークリームやフロマージュブランを付けて食べたら、寝る時まで胃がポカポカしていたのにはびっくりしました。日本の新玉ネギとは力が違うなと思いました。
パリ時代はピガール広場に住んでいたのですが、近くにアフリカ料理の店があってクスクスを食べたりしていました。辛いソーセージが気に入りました。当時、週刊誌をにぎわしていたアラン ドロンの息子なんかも来ていたのを想い出します。その店では香菜が新鮮でよく香っていました。3ツ星の店より鮮度がいいくらいでした。中華料理の香りも好きだし、そういう意味では世界中の料理が参考になります。
これらの体験は私の小さな個人史の小さなエピソードにすぎませんが、案外、フランスの料理の歴史を大まかになぞったことになっているのかなとも思います。
レイモン オリヴェによれば、ヨーロッパ、フランスの料理にはいろいろなルーツがあってフェニキアやエジプト、アレキサンダー大王がもたらした東方の食材や料理など古代の文明に加えて、ルネッサンス以降、中南米からもたらされたトマト、ジャガイモ、トウガラシなどの食材の影響を蒙っていると言います。さらには、大航海時代、航海の目的そのものがコショーの入手だったのですから、食の変化への願望は計り知れないものがあったのでしょう。肉の保存技術が乏しく匂い消しが不可欠だったのです。以来、海外のスパイスを取り入れてフランス料理の幅がどんどん拡大されていくのです。
フランス人は外国のものを取り入れる際にエキゾチシズムを感じている部分もありますが、自国の新しい文化としてしまうことにあまり躊躇がありません。中華思想の国で自分が気に入ったものは自分のもの、自国のものだと主張したがるのです。そうやって自分たちの文化を豊かにしていくのです。たとえば、美術ではエコールドパリとまとめられる画家たちの中で有名なフランス人はローランサンとユトリロくらい。スペインのピカソ、イタリアのモディリアーニ、メキシコのリベラ、ロシアのシャガール、ポーランドのキスリング、日本の藤田嗣治など錚々たる外国人がフランス文化に寄与しています。音楽では晩年をパリで過ごしたロッシーニやオッフェンバック、ショパン、ストラヴィンスキーなど著名な外国人がフランスの音楽史を飾っています。
日本も外国のものを取り入れるのが上手く、すぐに日本化のアレンジを加えるのが得意ですが、それでも元々の国の文化に敬意を払うことを忘れないようにしていると思います。
いまフランス料理に、日本の食材がどんどん流入しています。抹茶、柚子、昆布、味噌と止まるところを知らない勢い。まだ日本の食文化に大切にしているところで、それほど不思議な料理にはなっていませんが、いずれフランス化させてしまうのだと思います。
そういえば、スパイスやハーブに限らず、料理の風味づけに当たり前のように使われているマデラ酒やポルト酒もポルトガルのものです。そのうち日本酒も含めた出汁文化そのものを取り入れたりするかもしれません。それは趣味の変化を伴う動きだと思うのですが、その時にフランス料理が変わるのかどうか、楽しみです。日本料理が調理法そのものから取り入れられてフランス料理の根幹が変わるのか、調理法はそのままで風味のヴァリエーションとして取り入れるだけなのか、その辺りに興味があります。

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